貧乏は力なり
自分の生きてきた環境は少し過酷だったかもしれない。
父、母、母方の祖父、母の妹、私、弟、妹で暮らしていたのだが
父と祖父の折り合いが悪く、大喧嘩をしてすぐに引越し。当時小5。
その後ギャンブル狂の父が500万の借金を残して蒸発。
母は1人で三人の子供を育てあげた。
父はその後会っていない。生きているのかも何も知らない。
このくらいの状態はよくある事なのかなとも思う。
自分の周りでは出会った事はないけど。
ただ、人生の理不尽さ、自分の無力さを味わう程度は
同世代の友達達よりは重かったのではないかなと。
割とヘビーな人生経験はプラスの面もある。
私は常に動じない。
起きたことを悲しんでも何も変わらない事は
小さい頃からずっと経験しているから。
誰を恨もうが神様に祈ろうが、事実が変わらないのであれば
感情が動くだけ無駄なのである。
人として何かが欠けてるね、と友人に言われたのは
私のこの辺の思考癖を言っていたのだろうなと思う。
1人であればこのまま何も変わらずいただろう。
私には2人の子供がいる。
10歳と3歳。
彼らは感情の塊だ。
私には理解できない、共感できない部分が多すぎて。
10歳の娘は何かできない事があると泣くのだ。
できない→泣く、この図式が全く理解できない。
泣いてできるようになる訳でもなし、泣く事のメリットが全く感じられないのに。
きっと優しい母のお手本では、話を聞き、共感し、丁寧に諭し。。
でも私は聞いてしまう。
「泣いて何が変わるの?」嫌味でも無く、怒るでも無く
純粋に疑問なのだ。
泣いても何も変わらない事を経験してきた私と
思い通りにならない事に直面した時に泣く事で
感情をコントロールしようとする娘。
自分と同じと思ってはいけない。
自分と子供とは別の人間であり人格なのだと
すごく当たり前の事をまざまざと感じるのである。
子供の頃からの経験でアイアンマンなハートを手に入れ
貧乏に誇りを持っているけれど。
うまくいかない時には涙を流してみようかなと
密かに企んでいたりする。
涙を流した後に弾いている娘のピアノを聞いて、
アイアンスーツを脱いで
欠けた自分の心を少しだけ観てみようかなと思ったりする。
カラッカラのドライアイでも涙は出るのだろうか。
おしまい☆