凪がベスト

超絶ハッピーじゃなくてもいい、せめて凪の状態でいたい。。

近視は遺伝じゃない

自分の眼

私は小学生の頃、急激に視力が落ちた。

二年生までは1.5あったのに

三年生でいきなり0.3になって慌てて眼科に行き眼鏡を作った。

当時身長がグッと伸びたので、そのせいでしょうと言われ。

(背が急に伸びると目の筋肉が引っ張られ

 目を常に使っている状態になるんだとか)

 

私の父もド近眼、母も近眼、

両祖父共ド近眼、両祖母は他界&絶縁状態でデータ無し。

目は遺伝だからね〜と言われて育ってきた。

そうか、私の視力が低いのは近視の一族の生まれだから

仕方が無いのかと疑問に思う事なく納得していた。

 

 

 

娘も近眼、そして眼科で言われたことは、、、

娘は小学校一年生の時に眼科検診で引っかかって帰ってきた。

はいはい、私も近視、旦那も近視。

近視のサラブレットですものね、と学校からの

判定用紙を持って眼科へ受診。

 

その眼科は外の入り口から玄関口まで

大きな、それはそれは高そうな盆栽がズラっと並べてある病院で

当時よちよち歩きの息子が

その盆栽の葉をむしり取ろうとするのを

必死に押さえて順番を待った。

二時間程待って呼ばれると、白髪の恰幅の良い先生は言った。

「お母さんね、近視は遺伝じゃ無いからね!」

 

ええええええ!!!!

遺伝だと信じてやってきたのに!!!

遺伝じゃなかったらなんなのさ!!!

 

先生曰く、近くのものを見るときに必要以上に眼の筋肉を使って

自分で近視に持って行ってるのだと。

なるべくリラックスしなよと、そして近くを見続けるのではなく

時々遠くも見るといいよと。

でも、それで視力が良くなったりするわけでは無いのだと。

 

娘は当時ゲームもやっていなかったし

本を読んだりするのも30分限度で必ず休憩を入れたり

私が近視で苦労したので

娘の視力は落とさせまいとかなり気を使っていたのに。

自分で近視の方向に持って行ってるだなんて。。。

しおしおのパァ。。。。

 

眼科の帰りにはレンズ交換無料のメガネを買って

トボトボと帰る。

娘の視力は0.1であった。

 

眼科の盆栽は守れても

娘の眼を守れなかった無力感でいっぱいだった。

しかし眼の選択肢として

私はこの後新たな選択肢を知る事になる。

 

 

今夜はドーナッツ

GWが終わった。

コロナ縛りの連休はなかなかにキツい。

密を避け避け地元の小さい山?丘?

にある展望台(といっても小さな螺旋階段のジャングルジムみたいな)

に家族で行ってみた。

もちろん人などおらず安全だ。

駐車場から30mくらいゆるい坂を登ったら

50段くらいの階段を登って

展望台の螺旋階段をこれまた20段くらい登って到着である。

新緑の山々の眺めも素晴らしいが

この展望台、古くて錆びてて柵がスカスカで

ヒェぇぇぇぇぇえぇぇぇぇ

と地味に恐怖。

風が強いのがまた恐ろしい。

3歳の息子以外全員へっぴり腰。

写真などをそそくさと撮り

いざ下りるとなったら

階段の下りは自信が無いのか

息子の抱っこコール。

旦那が抱いて下りたが

私は自分&娘が階段を転げ落ちるのではと

脇汗びっしょりになりながら

そーーーーーっと下りた。

 

地上に降り立ち、ホッとして元きた階段を降りていると

左前ももに違和感が。

ん?これは??いた?いたい?のか?ん?

と一歩一歩進むごとに疑問と痛みは確信に変わる。

 

いってぇーーーーーーーーー!!!!!」

前もも膝の上あたりの筋肉が

ギューーーー!!!っと岩のように硬くなって

しかもそのまま反り返って骨から剥がれてしまうような激痛。

これは、これは、この懐かしい感覚は、、、、、

お肉が離れてるやつですねWoW!

私は高校時代に肉離れをやったことがある。

少しでも脚に力を入れると

モモ肉がギューーーーン!!てなって

メリメリっって剥がれそうな痛み!

あまりに痛いので娘の肩を借りて

ヒョコヒョコと片足を使わないように車に向かう。

展望台に向かっているであろう老夫婦が驚いた表情で私を見る。

 

大丈夫ですよ、この展望台がキツくてこうなったのではありません。

これは私の日頃の怠惰によるものです。

とお伝えしたかった。

娘に肩借りて足引きずって負傷してる人みたら

え!この展望台そんなキツいの!マジ!?ってビビってしまう。

無駄に恐怖を与えてしまったわー。

 

 

 

GWも終わり、今日から日常。

足だけは、未だお肉離れ中。

普段しないことをして痛い目見る。

私の人生あるあるでした。

 

おしまい☆

はよ治ってくれーー

地味に辛いんじゃ〜

こんな時間にエクレア一本

やってしまった。。

エクレアって300kcalもあるんか。。。

皮の中にクリームつめたやつが、、

そのクリームがカロリーなのか(沈)

 

最近どうしても食欲が押さえられないのだ。

全然運動もしていないのに明らか摂りすぎの状態。。。

我慢強い私はどこへ行ったのだ。

明日は幼稚園自転車デーで帳消しだ!

昨日分の自転車デーの筋肉痛はまだ抜けていない。

パワーを前借りしたようなものか、エクレアで。

 

明日は絶対に甘い間食をしない!!と心に決めてみる。

冷蔵庫にヨモギ餅とシュークリームとチーズケーキとみかんゼリーがあるけど。

 

 

食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃだめだ食べちゃ だだめ たた食べちちち   め

 

おしおしままい  まい  しお

スリジャヤワルダナプラコッテ

23歳の時、ストレスで胃潰瘍になり胃カメラを受けた。

胃年齢は五十代だと医師に言われた。

レトルト食品や辛いものを食べた後はものすごい胃もたれに苦しむ。

外食もきつくなってきた。

そもそも塩分に耐えられない。

ラーメンを食べた後は砂漠にいるかのように喉が乾いて、お腹がタプタプになる程水を飲む。吸血鬼になったかのような枯渇感。

 

最近では、高い牛肉を食べると頭痛がするようになってきた。食後にはもれなく下痢がついてくる。

どんどん食べられないものが増えてきている。正しくは、食べたいのに食べられないものなのだ。

 

好きな食べ物ランキングで寿司やラーメンを差し置いて、ゴーヤがここ数年一位をキープしている。

沢山下処理しておいたのに、冷蔵庫からちょこちょこ取り出してはつまみ食いする夏。

気付けばボウルに山盛りあったのが半分無くなっていた。

食べたくて食べたくてたまらないゴーヤ。

一体何の成分を体は欲しているのか調べてみた。

ゴーヤは血糖値を下げる成分が豊富なんだそう。

ついには甘いものも食べられなくなるのか。。。

 

おしまい☆

尻の弱さ

息子の通う幼稚園は

かなり急なアップダウンを三つ超えた山の上にある。

普段の送迎は車で十分くらいなのだが

その日は夫が仕事で車を使うので自転車で宜しくとなった。

 

ただのアップダウンだけでなく

道路の舗装が地割れしてガッタガタ。

ハンドルを持つ手がグラグラ揺れる。

運動なんて皆無な生活を送っているのに

急に動くものだから喘息の発作が起きかけて。

このコロナの時代に咳は命とりなのである。

咳の辛さよりもあらぬコロナの疑いをかけられた目線のが怖い。

 

一度せきが始まると嗚咽が出るまで止まらないので

息を止めながら自転車を漕ぐ。

脇汗びしょびしょ。太ももプルプル。

横を通勤車がゾロゾロ通過して行くが

私は知り合いには見られたくない程

顔は真っ赤でドロドロでフラフラなのだ。

 

無事送迎は終え、1日のタスクをこなし

震える小鹿の様にプルプルする全身で

ベットに横たわると

ふと

いや、結構

痛いのだ。

尻の穴の周りがただれて

恐らくジュクジュクに擦れて

大分ひどい事になっているのに気づく。

 

本当言うと夕飯を作っている最中や

お風呂に入る時に滲みるなって

気づいていた。

まさか自転車のサドルでこんな事になろうとは。。

たかだか一日自転車を漕いだだけで

尻が死亡。。。

 

また一週間が始まる。

夫の出張回数で私の尻の寿命が決まる。

どうかどうか、痔にだけはなりませんように!!

尻ってどうやったら鍛えられるんだ。。。

 

おしまい☆

 

SMAP!!

このブログというものを書いてみて

意外と?自分はネガティブな思考なのだなと新発見。

ネガティブも一周廻ってポジティブになる

という持論を持っている私も表現してみれば

結構ネガティブなのだなと気付かされたのだ。

 

で、今日のタイトル。

前回書いた通り、

私の育った環境は平和や平穏とは

かけ離れたもので

ともすると今こうしてブログを書いている事も

命ある事も無かったんじゃないかと思うのです。

心がやさぐれた時に救ってくれたのが

SMAPという今は解散してるけど

国民的アイドルグループ、だったのです。

 

母が最初にファンになり、当時私は中2で

TV東京?か何かの「愛ラブSMAP!」という番組で

キャーキャー声援を受けるキラッキラのジャニーズに

肩をすくめていて。

なんだこのチャラい兄ちゃん達はと。

 

母はコツコツとCDを集め、

TV番組はどんどんSMAPが出ているものしか

観なくなり。

当時私は夜にラジオを聞いていて

斉藤一美のとんかつワイド」を毎日聞く中で

まーーーかかるわ、かかる、SMAPの曲。

がんばりましょうを何回も何回も聞いていて

ふと思う訳です。

あれ、あのチャラい兄ちゃん達の曲、いい事言うって。。。

 

そこからは家族一同SMAPファンで。

家族で共通する話題がSMAP

皆で曲を聞き、TVを観て、ライブに行く。

母はSMAPにはお金を惜しげもなく投入していたのだけど

今考えるとどこからあのお金は湧いてきていたのか。。

 

よく、母子家庭で兄弟三人いて苦労していて

何で誰もグレたりしてないの?!と聞かれたり。

私はいつも「SMAPがいてくれたから」と答えていて。

それ以前に何で母子家庭で兄弟多いと

グレたりうまくいかないの前提なのか腹立ちますけどね。

 

 

解散の時、五人で並んで最後の時から

ずっと曲も、DVDも何もかも聞けなくなって、観れなくなって。

どうしても悲しい気持ちになってしまうから。

悲しいなんて一言では表せない、

自分の一部が壊れてしまったような。

 

あれから5年が経ち

一周回ってポジティブな自分でも

ちょっと乗り越えるのがきついなーー!!って事が最近あって。

恐る恐る聞いてみたのです。CDを。

「ココカラ」という曲を車でかけてみたのです。

軽やかな口笛の入ってる前奏から

「あぁーーーーー!!!やっぱりSMAPじゃなきゃダメなんだな!!!」

と思うと同時に溢れる涙。

あ、涙、ドライアイでも出たわ。めっちゃ滲みるけど。

どうにもならない力と地道に闘う彼らに

またもや救われたのでした。

 

おしまい☆

 

貧乏は力なり

自分の生きてきた環境は少し過酷だったかもしれない。

父、母、母方の祖父、母の妹、私、弟、妹で暮らしていたのだが

父と祖父の折り合いが悪く、大喧嘩をしてすぐに引越し。当時小5。

その後ギャンブル狂の父が500万の借金を残して蒸発。

母は1人で三人の子供を育てあげた。

父はその後会っていない。生きているのかも何も知らない。

 

このくらいの状態はよくある事なのかなとも思う。

自分の周りでは出会った事はないけど。

ただ、人生の理不尽さ、自分の無力さを味わう程度は

同世代の友達達よりは重かったのではないかなと。

 

割とヘビーな人生経験はプラスの面もある。

私は常に動じない。

起きたことを悲しんでも何も変わらない事は

小さい頃からずっと経験しているから。

誰を恨もうが神様に祈ろうが、事実が変わらないのであれば

感情が動くだけ無駄なのである。

人として何かが欠けてるね、と友人に言われたのは

私のこの辺の思考癖を言っていたのだろうなと思う。

 

1人であればこのまま何も変わらずいただろう。

私には2人の子供がいる。

10歳と3歳。

彼らは感情の塊だ。

私には理解できない、共感できない部分が多すぎて。

10歳の娘は何かできない事があると泣くのだ。

できない→泣く、この図式が全く理解できない。

泣いてできるようになる訳でもなし、泣く事のメリットが全く感じられないのに。

きっと優しい母のお手本では、話を聞き、共感し、丁寧に諭し。。

でも私は聞いてしまう。

「泣いて何が変わるの?」嫌味でも無く、怒るでも無く

純粋に疑問なのだ。

 

泣いても何も変わらない事を経験してきた私と

思い通りにならない事に直面した時に泣く事で

感情をコントロールしようとする娘。

 

自分と同じと思ってはいけない。

自分と子供とは別の人間であり人格なのだと

すごく当たり前の事をまざまざと感じるのである。

 

子供の頃からの経験でアイアンマンなハートを手に入れ

貧乏に誇りを持っているけれど。

うまくいかない時には涙を流してみようかなと

密かに企んでいたりする。

 

涙を流した後に弾いている娘のピアノを聞いて、

アイアンスーツを脱いで

欠けた自分の心を少しだけ観てみようかなと思ったりする。

カラッカラのドライアイでも涙は出るのだろうか。

 

おしまい☆